「ぼくの学校は世界中」番外記 第7回
子連れでキャンピングカーで世界一周、四大陸、50ヶ国、12万キロを走破した雲野さんの物語
中米グアテマラへ
アラスカから始まったキャンピングカーの旅は、カナダ、アメリカ、メキシコを経て、2020年2月、ついに中米グアテマラへたどり着いた。
世界一美しい湖・アティトラン湖での出会い
「世界一美しい湖」と呼ばれるアティトラン湖のほとりでは、火山に囲まれた静寂の中、世界中のオーバーランダーたちと出会った。 家族で旅をしながら暮らす人々の姿に、「生き方に正解なんてない」と背中を押された気がした。
世界遺産アンティグアでの新しい暮らし
次に向かったのは、世界遺産の街アンティグア。 カラフルなコロニアル建築と石畳の街並みを、背後のアグア火山が静かに見守る。 ここを訪れた目的のひとつが、長男を現地のインターナショナルスクールに通わせることだった。
初日は不安そうだった長男も、2〜3週間が経つ頃には英語とスペイン語が飛び交う教室で笑顔を見せるように。 文化も言葉も違う仲間たちの中で、彼は確実に世界を広げていた。
一方、妻はスペイン語学校に通い始め、地元の先生と楽しそうに授業を続けていた。 その努力は、のちの南米旅で何度も家族を助けることになる。
だが、ちょうど生活が軌道に乗り始めたころ、世界が止まった。
世界が止まった日——コロナ禍の到来
3月、グアテマラ政府は国境を封鎖し、学校も休校。外出制限、夜間外出禁止、マスク着用の義務化。消防隊や衛生局が街を消毒して回り、マスクを売る行商が通りを埋めた。(その後、約2年間陸路国境封鎖)
幻となった「セマナサンタ(聖週間)」
ちょうどその直前、グアテマラ最大の祭り「セマナサンタ(聖週間)」を心待ちにしていた。街中に花びらや色粉で作られたカーペットが並び、信仰と誇りが溢れる美しい行進が始まろうとしていた矢先の中止。活気に満ちた街が、一夜にして静寂に包まれた。
限られた日常と、人とのつながり
外出できるのは週に一度の買い物のみ。検問が設けられ、許可のない移動は制限された。人通りの消えた石畳の街を、警官の笛の音と教会の鐘が遠くで交錯する。誰もが先の見えない不安の中にいた。
そんな中、現地で出会った日本人男性の一言が、私たちを救った。
「今、住んでいるコンドミニアムに空きがあるよ、大家さんに聞いてみようか?」
案内されたのは、かつてコーヒー農園だった敷地に建つ平屋のコンドミニアム。家具・駐車場・光熱費込みで月4万円。私たちはキャンピングカーを停め、ピックアップとキャンパーを切り離して暮らすことにした。通学用に変身したピックアップでアンティグアの街を走り、子どもたちを学校や保育園に送るのが日課となった。
家族で見つけた“小さな幸せ”
外出できない日々が続く中、市場で買った大きな青いタライが我が家の風呂になった。 旅の疲れと心のストレスを癒す即席バスタブ。 息子たちは水をかけ合い、笑い転げた。 外の世界がどんなに不安でも、彼らの笑顔が、いつも私たちの希望だった。
動けない時間がくれた気づき
「自分の力ではどうにもできないことに心を奪われても仕方ない。今、目の前のことに集中しよう。」
そう気持ちを切り替え、旅で撮りためた映像を整理し始めた。やがてYouTubeでの発信が始まり、旅の記録が新しい形で世界へ広がっていった。
グアテマラ在住の日本人や現地の移住者たちとも交流が生まれ、物資の融通や情報交換をしながら支え合った。孤立するはずの状況で、人のつながりがどれほど心を救うかを、身をもって知った。
6か月の滞在、そして再び北へ
約6か月にわたるグアテマラでの滞在を経て、私たちは南下を断念。
陸路国境が閉ざされたままの中、再び北のメキシコへ戻る決断をした。
ピックアップトラックにキャンパーを再び載せ、静まり返った国境ゲートを後にする。
旅が思うように進まなくても、確かに前へ進んでいる。
そんな実感を胸に、再びエンジンをかけた。
グアテマラが教えてくれたこと
コロナ禍の不安も、青い空の下では少しだけ軽く感じられた。 「人生の旅路に、無駄な寄り道なんてない。」 そう信じられるようになったのは、あのグアテマラの日々があったからだ。
■連載中の過去記事はこちら
【連載コラム】「ぼくの学校は世界中」番外記 第6回|キャンナビ
【連載コラム】「ぼくの学校は世界中」番外記 第5回|キャンナビ
【連載コラム】「ぼくの学校は世界中」番外記 第4回|キャンナビ
【連載コラム】「ぼくの学校は世界中」番外記 第3回| キャンナビ
【連載コラム】「ぼくの学校は世界中」番外記 第2回 | キャンナビ
【連載コラム】「ぼくの学校は世界中」番外記 第1回 | キャンナビ
